ベトナム 世界遺産の街 ホイアンMangoMangoのオーナーシェフDucさん
Ducさんの動きが早いから 写真がブレてますが 手前の勢いあるベトナム人
が ホイアンのリバーサイドで圧倒的人気店となった MangoMango経営者
古民家をリノベーションしてあり すごく素敵なセンスのお店です
ところで ボートピープルって知ってますか?
このDucさんは ボートピープルだったそうです
ベトナムは1975年のサイゴン陥落、76年の南北統一まで長きにわたる戦争を経験した。その後も同国は、カンボジア侵攻や中越戦争により、国際的に孤立し、経済的、社会的に疲弊した状況に陥り、国民生活は大きな打撃を受けた。
こうした中、北ベトナムの勝利を受け、南ベトナム政府の関係者や、経済的に追い込まれた多くの人々が他国に難民として逃れていった。船に乗り海外に出た「ボートピープル」、陸路で出国した「ランドピープル」と呼ばれる人々だ。 JBS参照
アメリカ オーストラリア ヨーロッパ 日本にも多くの難民が暮らした
子供世代が 今 30代
Ducさんは アメリカに渡り 苦労して苦労して 仕事を得た。
工場のエンジニアのような仕事だったらしい。お金を貯めて 彼はその後
バックパッカーで世界中の 調理場を周り 仕事をしながら旅を続けた
ベトナムに帰り 自分の店を開く
彼の作る料理は フュージョンと高く 評価される
その場 その時にある食材で 閃きで 思いがけない料理を作る
素材をの良さを生かして シンプルだけど ちょっと驚きもあるお料理
世界中のお客様から 驚きとセンスを評価されて 現在は このお店以外にも
4店舗成功しているオーナーシェフです。
京都が大好き!なんだそうで
料理の修行も 京都でしたことがある 今来ている
藍染のシャツも パンツも バックも 全て 京都で買った。
この間 京都で行った なんとかが アメージング ラブリーだといって
話してくれたけれど 金閣寺? 祇園? と私達の知識の方がチープで
彼の言うことがわかりませんでした 本当 申し訳ないす
日本が大好き!ってことで 早速 FBお友達にもなった〜〜てへぺろ
めっちゃ かっこいいBAR
BARの天板は 一枚板 天井の照明に使う竹細工のような素材は ベトナムのもの
自然素材を使いながら かっこいい〜〜〜
てーブル席でも 雰囲気が違う 色使い 照明 店全体が待ちやリバーに溶け込んでいます
お料理はこんな感じ〜〜〜 説明ができない 笑
私たちが座ったテラス席は 街中サイドです テラス席の向こう側が古い町並み
こんな感じ ホイアンの特徴のランプ 両サイドに古民家のお店や屋台が並びます
テラス席の前には 屋台も並ぶ フルーツを売ってました
ホイアンには 1976年の戦争の前には
日本人が500人も暮らしていたそうです
当時 日本人が この港に作った橋
「日本橋」 今も 当時のままに残っていて 観光名所になっています。
夜になると ライトアップ 中に 仏様がお祭りしてあって 海の安全を願って
作られた橋 日本だと神様になりそうだけど仏教国らしく 仏様でした
そして ホイアンの大人気の夕暮れの景色
世界中から お客様がくるのは この瞬間 最高の景色
この景色が見られる リバーサイド側のレストランは 超満席
そこにmangomangoがあります。
ベトナムでいろんな人に合わせてもらったけれど
Ducさんが とても印象に残る
ボートピープルって テレビの映像が 今も目に浮かぶ
難民という言葉が ショッキングだった 小さな子供がブルブルと震えて
いた あんな薄板のボートで よく死なずに海を渡れたと思った
どうやって暮らしてゆくんだろうか・・私は子供ながら哀れみの気持ちだった
でも すっかり忘れていた まだ記憶に残るほどなのに
Ducさんの話す姿 お料理する姿を見て 明るくて 情熱的で
未だ こうしてお店に現れるなんて 人柄が素晴らしいの
ただうまい料理ではない 色々な背景やらいろいろ
力強く伝わる 圧倒的に印象に残る
これも フェイスブック や グーグル先生がいるから
その場で 翻訳して 彼のバックグラウンドが知れたからなんだけどね!
今や 言葉の壁があっても こうして知ることができるし
ただ 美しい美味しいお料理は 世界中 溢れているから
個人の情熱の時代なんだなと強く思った
ホイアンの夜です
今日は 写真がいっぱいでした〜〜^^
中村ゆかり
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