「わたしは働きに来たんじゃない
幸せな家庭をつくりに白馬にきたのに・・」
と喧嘩しました。
1年前にスキーメーカーに勤務していた主人も実家に戻ったばかり
旅館に仮住まいのアリエッティ暮らしでした。
旅館に暮らすということは 夜は宿直 お客様の食事準備と片付けの合間に
厨房の片隅でごはんを食べる 夜中に電話は鳴るし
プライベートもお休みもない 主人の家族とずっと一緒
家業とは 家中が働くという事なのに
わたしはわかっていなかったし 受け入れられなかった。

女将 長女 父 わたし 主人の昔の家族写真
白馬のホテル五龍館(ごりゅうかん)は主人で3代続く宿
農家の傍ら 登山アルピニストの山の案内人をして昭和8年に民宿を始めたのがおじいちゃん
父の時代に 八方尾根スキー場をつくり スキーとペンションブームの時代が来る。
「私をスキーに連れてって」時代 主人の両親は 寝る間も惜しんで働いて 民宿から旅館へ新築の鉄筋コンクリートのホテルへと成長させました。
登山 スキー宿がはじまりなので この白馬地域では着物を着た女将さんのいる日本旅館ではありません。奥さんが料理を作り お部屋を掃除して 旦那さんが帳場を仕切ると民宿スタイルがほぼスタンダードの中
五龍館は 女将(義母)は電話予約とフロントを切り盛りしており
調理場やお掃除 レストランなど5~6人の従業員がいました。
当時の冬(12月~4月)目の前にある八方尾根スキー場だけで 200万人集客した
現在35~6万人だから 約6倍のお客様がスキーに来た。
お客様からの電話
「あと友達を3人集めて来たらいいよ~~~2名じゃ泊めないよ」
って予約の問い合わせの電話をガチャン・・5名泊まれる部屋は5名揃わないとダメなの
いいの? そんな言い方していいの?
五龍館は女将(義母)が強かった
お客様は素直に 5人で予約する 高稼働率です。
電話1本で 鉛筆1本 紙の予約台帳で管理していた。パソコンがない時代 記憶力がハンパなく女将の頭の中で 完璧な予約状況ができていた
いつも笑顔でおしゃべりが好きな女将で 人気者でした。
旅館の仕事は作業が9割
作業の工程が不効率だったり 段取りが悪かったり
生意気なわたしは馴染めないことが多くて 納得のできないことも多くて
変えようとしては玉砕して 現場を混乱させ
ふさぎこむことが多かった。
プライベートがない
休日もないのが 嫌で嫌でたまらなかった。
ごはんを作ってわたしの家族と食卓を囲むのが夢だったのに~~
厨房のステンレス台を囲んで座り まかないごはんを食べるのだけど
みんな急いでて10分終えちゃうの・・・・
わたしにとって 夕ごはんは 1日のメインイベントなのに 悲しすぎた。
そんなわたしを見かねて 主人が
子供が生まれたのをきっかけに
現在の別館アネックススクエアの管理人室に移り
家族で食卓を囲むことができるようになった。
振り返れば メンドクサイ嫁ですよ 生意気だし 頑固だし 言うこと聞かないし
みんな 嫌だっただろうな~~
で 現在のわたしったら 義母 そっくりですよ!!
娘たちが就職して二人とも家を離れて ごはんは 主人と2人分つくるの・・・メンドクサイ
まかないごはん 美味しいし!
母と同様 仕事してる方が楽しい!!
家業とは
家族の生活の中に仕事がある。だから 道具ひとつ置き場所さえも変えることは
生活習慣を変えることになり
変化を嫌う。
家族だから感情的にもなる
家業の跡継ぎは 難しい
わたしは いったい いつから 仕事が楽しくなったのかな?
あ
あ
あれだ
そこ ものすごく重要なんだけど 書いていいんだろうか??
と
すみません 自己紹介・・・・続きます。 もう少しです

中村ゆかり

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